1995(平成7)年1月17日午前5時46分に発生した阪神大震災。戦後初めて都市型直下型地震、震度の計測で初めて震度7を計測しました。各地で大きな被害があり、そして6434人もの命が犠牲となる当時は戦後最悪の災害となりました。あれから25年が経過し風化も懸念されていますが、風化させないためにも震災を経験した我々が後世に伝えていかなければならないものと思っております。
阪神淡路大震災は、神戸市長田区周辺については一番の被害が出ましたので報道も多くされており周知のことではあると思います。しかし西宮においても至るところで被害があり、市内で1146人が犠牲となりました。
私は、当時まだ高校生で早朝だったこともあり、まだ睡眠中でした。その時に突然大きな揺れで目が覚めましたが起き上がるよりとりあえず布団を頭から被ってみを守ったことを覚えています。その大きな揺れも20秒~30秒くらい揺れたんじゃないくらいでした。(実際は10秒くらいだったそうです。)
幸いに家族は全員無事で自宅は家具類は全て倒れ食器はほぼ割れてしまったような状況でしたが建物そのものは壁にひびが入った程度で大きな損害はなく現在も同じ場所で住んでおります。周辺は倒壊した家、施設も多くあり、またライフライン、交通機関が全て止まり、これまで当たり前に出来ていたことが出来なくなるということを経験し、高校生ながら苦労したことを覚えています。
あれから25年が経過し、街並みもずいぶん変わりました。西宮は今では関西エリアで住みたい街ランキングでも常に上位に位置するほど人気の高いエリアになりした。現在、西宮市の居住者のうち約25%の住民が震災後に生まれた住民となっているそうです。引越しなどで西宮に住まわれたという方たちも含めると震災を経験していない住民はもう少し増えるのではないかと思います。そういったことから経験した人しかわからないことを伝えていくことが私たちの役割だと思っています。
阪神淡路大震災を風化させないために市でも形で残すために、西宮震災記念碑公園を作っています。この公園には震災で犠牲となった西宮市民の名前が刻まれた「犠牲者追悼の碑」が設置されています。やはり話すだけではなかなか伝えていくということは難しいと思います。このように形として残していくことで後世に伝えることができるものと感じています。
阪神淡路大震災以降、震度7クラスの地震が東日本大震災をはじめ各地で起きています。そして地震だけでなく、昨今では台風などの風雨による災害も起きてきており、平成の時代は大きな災害に多く見舞われました。自然災害はいつ、どこで起きてもおかしくないということを肝に銘じて被害を最小限に抑えるためにも各々防災意識を高めて準備しておきましょう!